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大阪地方裁判所 昭和47年(ワ)4877号 判決

原告 福山藤子 ほか一名

被告 国

訴訟代理人 寳金敏明 森正弘 ほか五名

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告ら

1  被告は

(一) 原告福山藤子に対し、金二九七万円およびうち金二七〇万円に対する昭和四七年一一月五日から支払済みまで年五分の割合による金員を、

(二) 原告福山博に対し、金九九万円およびうち金九〇万円に対する昭和四七年一一月五日から支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言。

二  被告

1  主文同旨。

2  担保を条件とする仮執行免脱宣言。

第二当事者の主張

一  原告ら

1  当事者

被告は、国立大阪大学医学部に付属病院(以下、阪大病院という。)を設置し、医業を行なつている。原告福山藤子は、夫である原告福山博との間の第二子を出産するため阪大病院に通院ならびに入院していたものである。

2  診療事故発生

原告藤子は阪大病院に入院中、昭和四五年七月一八日午前五時一五分ころ、子宮が破裂し、そのため切開娩出された子は同日午前一一時三〇分ころに死亡し、原告藤子も子宮切除の手術を受け、以後受胎不能の身となつた。

3  診療の経過

(一) 原告藤子は昭和四三年九月八日、中山医院(医師中山義雄)において第一子長男実を出産した。右出産は、児頭骨盤不適合との診断に基づき、帝王切開手術により行なわれたが、以後の経過は順調であつた。

(二) 昭和四四年一二月、第二回目の妊娠を知つた原告藤子は、同月二二日阪大病院において産科婦人科医長足高善雄教授の診察を受け、同教授より再度帝王切開をしなければならないかもしれないが出産自体は大丈夫との診断を得た。そこで原告博らとも相談のうえ出産を決意し、阪大病院において以後毎月一回通院診察を受け、その間何らの異常もみられなかつた。

(三) 原告藤子は出産予定日(昭和四五年七月九日)の前日である同年七月八日阪大病院の指示に従い、出産のため同病院に入院した。

(四) 右出産予定日を経過しても、原告藤子には出産の徴候が現われなかつたため、同女は担当医である産科婦人科医員岡田直樹医師に対し帝王切開の施術を求めたが、同医師は右要求を拒み、経膣分娩の方針を変更しなかつた。しかるに、一向に陣痛は発来しなかつたので、岡田医師は同月一六日午前陣痛誘発のため数本の注射(陣痛促進剤)を施し、翌一七日午後さらに点滴を行なつたところ、漸く陣痛が始まつた。

(五) 同日夜は原告藤子は当直医の診療を受けることなく一人分娩室におかれ陣痛に苦しんでいた。翌一八日午前五時一五分ころ同女は激痛におそわれるとともに、右下腹部に異変を認め、係員に急を知らせた。同女は手術室に運ばれたが、早朝のことでもあり、医師の出勤その他の準備に時間を要し、同日午前六時三〇分に那須医師によつて開腹手術が行なわれた。同日午前六時四三分に男児が娩出され、すぐ特殊救急の処置が実施されたが、同日午前一一時三〇分に遂に死亡し、原告藤子には子宮切除手術が施された。

4  被告の帰責事由

被告は、次のうちいずれかの事由によつて、本件事故により生じた原告らの損害を賠償する責任がある。

(一) 原告らは昭和四四年一二月二二日(遅くとも昭和四五年七月八日)、阪大病院従つて被告との間に、原告藤子の出産を介助し、容態の推移に応じ帝王切開手術を含む適切な医療措置を講ずることによつて母子とも健全に出産を全うせしめる旨の契約を締結した。そして、原告藤子は第一子出産に際し、帝王切開手術を受け、以後二年も経過しない間に今回の出産を迎え、既往帝切の瘢痕に起因する無警告の子宮破烈が発生するおそれがあつたから、阪大病院としては特に子宮破裂等異常な事態を回避するよう努めるとともに、万一の場合に備えて常に万般の態勢を整え債務の本旨を遵守すべき義務があつたものである。しかるに、阪大病院は、不十分な診察、検査に基づき、安易に経膣分娩が可能であると誤つた診断を下し、かつその後における経過観察を怠り、遂に子宮破裂の事態を招来せしめた。さらに、子宮破裂という異常事態に対する万全の備えをも怠つていたため、子宮破裂から手術開始までの準備に長時間を要し、その結果娩出児の生命を失なわせたうえ、原告藤子の子宮切除を余儀なくさせた。従つて、被告は前記診療契約上の債務を履行しなかつたというべきであり、原告両名に対し右債務不履行によつて生じた損害を賠償すべき義務がある。

(二) (かりに右主張が認められないとしても)直接原告藤子を担当した岡田医師をはじめ、同医師を指導監督すべき立場にあり同医師に診療上の指示を与えた足高教授らは、右(一)記載と同様の注意義務があるのにこれを怠り、同記載の過失により本件のごとき重大な結果を発生させたものであり、右岡田医師らの使用者である被告は、民法七一五条によつて原告らに対しその損害を賠償する義務がある。

5  損害

(一) 子の死亡による損害

原告らの第二子(次男晋)は、胎内における発育も極めて順調であり、出産当時三、三〇〇グラムにも達していたから、健全に生長しえたであろうことは明らかであり、その死により両親である原告らの受けた精神的苦痛は甚しく、その苦痛を慰藉すべき額は、原告両名につき各金九〇万円を下るものではない。

(二) 子宮切除による損害

原告藤子は、本件事故により子宮を切除され受胎不能の不具者となつたもので、年若い同女が妻として女として受ける苦痛は極めて深刻であり、これを慰藉すべき額は金一八〇万円を下らない。

(三) 弁護士費用

原告両名は、本件訴訟手続を弁護士である本件訴訟代理人らに委任したが、これに要する費用は原告博につき金九万円、同藤子につき金二七万円が相当である。

6  よつて、原告らは被告に対し、債務不履行もしくは不法行為に基づき前項(一)ないし(三)の金員の合計額(原告藤子につき金二九七万円同博につき金九九万円)および弁護士費用を除くその余の損害金について本件診療契約が履行不能となつたことが明らかな日(本件診療事故の日)の後である昭和四七年一一月五日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因第1、第2項の事実は認める。

2(一)  同第3項(一)の事実は認める。

(二)  同二のうち、原告藤子が昭和四四年一二月二二日阪大病院において足高善雄教授の診察を受けたこと、その際出産するについて障害となるような異常は特にないとの診断であつたこと、その後同女は阪大病院において毎月一回通院診察を受けていたこと、その間何らの異常もなかつたことは認める。

(三)  同(三)の事実は認める。

(四)  同(四)のうち、出産予定日を過ぎても原告藤子には出産の徴候がなかつたこと、同女が岡田医師に対し帝王切開の施術を求めたこと、同医師が同月一七日午後点滴を行なつたこと、その後陣痛が始まつたことは認め、その余の事実は否認する。

(五)  同(五)のうち、七月一八日午前五時一五分ころ、原告藤子が激痛におそわれ、下腹部に異常を認め、係員に急を知らせたこと、直ちに手術室に運ばれたこと、当直医那須医師が開腹手術を行なつたこと、娩出児に対しすぐ救急処置が施されたが同日午前一一時三〇分ころ遂に死亡したこと、原告藤子に対し子宮切除の手術が施されたことは認め、その余は否認する。

3  同第4項ないし第6項は争う。

三  被告の主張

1  診療の経過

(一) 阪大病院では、原告藤子に対する初診時(昭和四四年一二月二二日)の問診の結果、同女が昭和四三年九月八日他院において帝王切開により第一子を分娩したことを知つたが、同女が来院時に既に妊娠三ケ月であつたため前回帝切瘢痕の検査の方法として内部的検査(子宮卵管造影法)は不可能であり、外部的診断(視診および触診)を行なつたのみであつた。

(二) また前回帝切の適応症が狭骨盤ということ(原告藤子に対する問診の結果)であつたので、入院時まで三回にわたり、同女の骨盤外計測を行なつたところ、同女の骨盤はほぼ正常値を示し、狭骨盤でないこと、従つて同女の前回帝切は狭骨盤のためではなく、児頭が骨盤より大きいため分娩に障害を来たした(児頭骨盤不適合)ためであることが判明した。児頭骨盤不適合は児頭の大きさ如何によるから、前回が不均衡であるからといつて次回も必ず不均衡になるとは限らず、また原告藤子の妊娠経過には特に異常が認められなかつたので、担当医の岡田医師は分娩育児部長の足高善雄教授と相談のうえ、経過を観察し、帝切に移行しうる態勢をとりつつ母体胎児にとつて最も好ましい経膣的に分娩を行なう試験分娩によることに決定した。

(三) 原告藤子は分娩予定日である七月九日が経過しても陣痛が生じず、分娩開始の徴候が現われなかつた。そこで児頭および骨盤の大きさを精密に計測するため、七月一〇日X線撮影、同月一一日超音波による計測を行なつたところ、児頭の大横径一一・二センチメートル、産科真結合線は一三センチメートルとの結果が得られた。産科真結合線は、仙骨の内部角(仙骨岬)と恥骨後面内の最短距離をいい、胎児が通ることのできる実際の幅であつて、日本産婦人学会の骨盤の大きさに関する小委員会が、日本婦人を対象とした最も信頼できるものとして報告したところによれば、右の正常値は一一・五六~一一・四八センチメートルであるから、原告藤子の骨盤(産科真結合線)は標準値よりも大きく、また児頭よりも大きいことが確認され、児頭骨盤不適合のおそれもないことが判明した。

(四) さらに同月一五日、胎盤の働きを検査するため、尿中のエストリオール値測定を実施したところ、一日につき三七・五ミリグラムとの数値を示し、胎盤の働きは良好であることが確認され、従つて帝切による急速分娩の必要は認められず、なお経膣分娩が可能な状態にあつた。

(五) 右の諸検査を実施しつつ陣痛促進剤(アトニン)を七月一三日から一四日にかけて投与し、陣痛を誘発する処置をとつたが、陣痛が発来しなかつた。

(六) 七月一七日午後〇時三〇分ころよりアトニンの点滴投与を再び開始し、陣痛の誘発をはかつたところ、漸時陣痛が発現し午後五時四五分ころ胎胞が緊満し、胎児が次第に下降していることを示したが、まだ胎児の娩出までにはかなりの時間を要すると判断された。そこで、担当医は助産婦の監視の下に原告藤子を引続き陣痛室におき、産直医(末原医師)および当直医(那須医師)と交替した。午後八時一五分ころ当直医が診察したところ特に異常はなく引続き石田助産婦が監視するとともに約三〇分毎に児心音および陣痛の計測ならびに原告藤子に対する問診を行なつた。翌一八日午前四時三〇分および午前五時の計測・問診時にも胎胞緊満し子宮口は三指開大する現象を呈していたが、特に異常はなかつた。

(七) ところが、同日午前五時一五分ころ原告藤子は下腹部の疼痛を訴え、同部に手掌大の膨瘤の発現がみられたので、石田助産婦は直ちに当直医および産直医に連絡した。両医師が原告藤子を診断した結果、子宮破裂の疑いがあつたので、帝切をすることに決定し、出血の危険に備え、かつ血管確保のため、ブドウ糖の点滴投与を実施するとともに手術の準備をなし、午前六時二五分麻酔医の管理の下に帝切手術を開始した。開腹の結果、原告藤子の子宮前壁に前回の帝切瘢痕部に一致し、右瘢痕より更に下方にかけて破裂口があつた。午前六時四三分、新生児を娩出し、同九時四五分、手術を終了した。

(八) 阪大病院では原告藤子の子宮を存置することを目的として子宮破裂口の縫合を試み、かつ止血のため子宮収縮剤投与、子宮マツサージのほか、止血剤投与など各種の措置を施した。しかし、同女の子宮は収縮が悪く出血が止らず、そのまま子宮を存置さすことは同女の生命に危険を及ぼす事態となつたため、やむなく同女の子宮腔上部切断を行なつた。

(九) 新生児は仮死状態にて娩出され、直ちに酸素投与、強心剤注射、人工呼吸、自働人工呼吸器装置、ブドウ糖補液などを行なつた結果、生後二〇分経過して心搏動を開始したので強化監視室に移して特殊救急部員の専任の下に治療を続行したが、午前一一時三〇分遂に永眠した。

2  経膣分娩を試みたことの妥当性

(一) 既往帝切と経膣分娩の適否

本件の如く、一度帝切を経験した女性が次回に妊娠した場合、必ず再帝切によるべきかについては種々議論があるが、既往帝切はそれだけの事由では以後の帝切適応症とはならず、前回と同一の帝切適応症が存在するか、別個の新たな適応症が存在しない限り、反覆帝切をしないとする考え方が通説である。すなわち、帝切による母体・新生児に対する悪影響が避けられない以上、明瞭な帝切適応症の存在しない限り母子ともの幸せのため、経膣分娩の方法によるべく、安易な帝切に依存すべきではない。

(二) 本件における経腔分娩適応症の存在

(1) 帝切による瘢痕の癒合を完全ならしめるに必要な期間は通常三~五ケ月であるが、原告藤子の分娩予定日は前回帝切時より一年一〇月を経過しており、前回帝切による瘢痕を危険視すべきものではなく、また帝切後の経過も順調であつた。

(2) 前回の帝切は狭骨盤(原告藤子に対する問診の結果)を理由としていたが、前記のとおり阪大病院では入院時までに三回にわたり同女の骨盤外計測を、入院後の七月一〇日にレントゲン検査を行ない、同女の骨盤がほぼ標準値を示していることを確認した。

また前回帝切の適応症とおもわれる児頭骨盤不適合についても検査の結果、同女の産科真結合線(骨盤の前後径)は一三センチメートル、胎児の大横径は一一・二センチメートルであつて児頭骨盤不適合の可能性も明白に否定された。(本件訴訟における鑑定人日高敦夫の鑑定の結果(第二回)により補正された値は、産科真結合線が一一・六センチメートル、胎児の大横径は九・五センチメートルであるが、右値によつても児頭骨盤不適合が存在しないことは明らかである。)

(3) 原告藤子および胎児ともに初診時から入院までにおける妊娠検診および入院後における診察においても特に異常がみられなかつた。すなわち、胎児の位置は頭位であつて正常であり、頸管の開大および児頭の下降についても自然の経過をたどつていた。

(4) 本件において陣痛誘発剤が用いられているが、その薬効によつて人工的な陣痛が発来したというより、むしろ薬効の切れたころに陣痛が自然に発来したと考えられ、しかもそれは決して過強陣痛ではなかつたのであるから陣痛誘発剤を用いたというだけでは帝切適応症が生じたといえない。

(5) 予定日超過について

分娩予定日は絶対的なものではなく、その前後一四日以内になされた分娩は正常範囲といえる。従つて、原告藤子において予定日を経過しても陣痛が生じず、予定日の八日後に漸く陣痛が発現したのであつても、なお右の正常期間内にあり、特に病的に遅いとはいえない。分娩予定日超過の場合、医学的に問題となるのは胎盤の機能低下であるが、尿中のエストリオール検査により七月一五日の時点において胎盤の働きは十分であつたことが判明している。

(6) 子宮破裂の徴候について

原告藤子には昭和四五年七月一七日夜から一八日午前五時ころまでの間において別段異常は認められず、子宮破裂の切迫徴候はなかつた。

(7) 以上(1)ないし(6)の事情の下で阪大病院が原告藤子につき試験分娩の方針を採用したことは相当であり、かつ試験分娩から帝切に移行すべき帝切適応症が何一つ存在しなかつたのであるから、昭和四五年七月一八日午前五時一五分に無警告破裂が発現した時点まで阪大病院が帝切を行なわなかつたことに何ら過失はない。

(三) 帝切の希望と経膣分娩

帝切は、原告らが希望すればその通りになすべき類の医療行為ではなく、あくまで帝切適応症と呼ばれる病的諸症状が発現した場合にこれを除去するために実施される治療方法であつて、適応症がないのにこれを実施することは許されない。たしかに帝切はそれを施行する医師にとつて手術予定日が予め確定しうること、分娩が短時間で行なわれることなどから安易な方法である。しかし、帝切は経済的負担のみならず、母体および胎児に及ぼす影響の点からして好ましい方法ではなく、医科学および医学倫論上、可能な限り経膣分娩によることが望ましいのである。すなわち、帝切は母体の開腹を行なうため、母体に有形無形の影響を及ぼすこと、母体の回復に日数を要すること、開腹の際、細菌が感染を起こす危険性があること、帝切時行なう麻酔は他の手術時施行する麻酔より困難であり、麻酔シヨツクの頻度が他の手術に比べて大きいといわれていること、一方新生児にとつても経膣分娩に対して帝切は不利な条件となり、呼吸障害、貧血、脳波異常、発育が悪いなど帝切児症候群とよばれる特有な症状がみられる。そこで担当医であつた岡田医師は、原告藤子の経過をみながら帝切適応症が発現すれば直ちに帝切に移行するとの前提の下に経膣分娩を試みるべき旨を同女に告げ、その旨説得したのである。

(四) 試験分娩の態勢

阪大病院では七月一七日原告藤子を陣痛室に移し、陣痛促進剤の点滴を続けながら、担当医、助産婦、看護婦が原告藤子を監視していた。一七日夕方担当医が交替した後も引続き助産婦、当直医、産直医は陣痛室に続いている陣痛監視室において、また帝切を行なう事態に至る場合に備えて麻酔医が待機していた。当直医は適宜、同女の診察をし、当直医の指導の下に助産婦はほぼ三〇分毎に陣痛・児心音の測定、回診を行ない、その状態を当直医に報告することにより同女を監視していた。陣痛室のベツトにはインターホンが備付けられており、陣痛監視室は陣痛室に接続し、陣痛室内の様子を一望できる監視窓がつけられており、陣痛室の異常、患者の動静は容易に察知しえた。右の態勢下においても同女には一八日午前五時一五分ころまで何ら異常が認められなかつた。

3  子宮破裂後の処置の相当性

(一) 手術準備時間

子宮破裂が生じた場合、第一に考慮すべきことは母体が緊急帝切に耐えられるか否かという点である。まして子宮摘除を実施する場合には、さらに手術による侵襲が大きいわけであるから、子宮破裂によつてシヨツク状態にある患者を手術に耐えられる状態にもつてゆくことが極めて重要となる。さらに原告藤子のように子宮破裂が無警告に突然発現した場合には患者のシヨツク状態は強度であると推測される。かように子宮破裂によつては母体の管理という特殊な要請が加わるため、母体が手術に耐えられると当初から診断されている場合や胎児の生命だけを考えればよいから母体については局所麻酔で足りる場合などに比較してはるかに長い準備時間を要し、通常六〇分程度を必要とするものである。

本件において、当直医の那須医師は七月一八日午前五時一五分に通報を受けてから午前六時二五分に執刀を開始するまでの間概略次のような作業を行なつている。すなわち、視診、問診およびドプラによる外診等にて原告藤子の症状が子宮破裂であることおよび児心音を確認した後、母体をシヨツク状態から救いその生命を確保すべく循環血液量を確保し、また母体の全身的管理のための呼吸・脈拍、血圧の測定等を行なつた。続いて手術室や麻酔室への連絡を行ない、その後同女を手術室に運んだ。手術室においては、輸血、輸液を行ない、麻酔医による患者の管理が行なわれた。那須医師が手術着への着換えや手指の消毒をする間に看護婦によつて腹部剃毛・消毒が行なわれた。以上の作業はどれ一つとして省略できるものではない。従つて本件において子宮破裂から手術開始まで一時間一〇分を要しているのはなんら不合理ではない。なお、手術台上の分娩については、衛生管理、とりわけ細菌感染の防止と手術要員確保の困難性等の理由から現在では小規模の古い病院を除いてほとんどすべての病院がこの方式をとつていない。また手術台上における分娩を実施したとしても、それによつて短縮できる時間は陣痛室から手術室に運ぶ間の五分ないし一〇分にすぎないのであるから、胎児の生命維持に役立つものではない。

(二) 胎児の生命維持の可能性

胎児は胎盤が完全に剥離して酸素供給を断たれた状態の場合には五分ないし一〇分で死亡するといわれているが、本件においては、胎児の生命線ともいえる胎盤の剥離が子宮破裂と同時に、またはこれに密着した時点において生じている。従つて、胎児は子宮破裂後、極めて早い時期に脳死の状態にあつたと推認されるのであつて、かりに手術の準備時間を三〇分にとどめえたとしても、胎児の生命維持は不可能であつた。

(三) 子宮摘除の不可避

子宮の完全破裂の場合、縫合できる余地は極めて少なく、ほとんどの症例において子宮摘除は不可避的である。本件では子宮からの出血が激しく総出血量は五、〇〇〇CCにも達していたのであるから、母体の生命維持のために子宮を摘出したのは、やむをえないというべきである。

四  被告の主張に対する原告の認否ならびに反論

1(一)  被告の主張第1項(一)のうち、前回帝切の瘢痕について内部的検査が行なわれなかつたことは認め、検査が外部的になしうるとの点は争う。

(二)  同(二)ないし(四)のうち、妊婦検診、入院中に骨盤外計測、超音波計測、レントゲン測定、エストリオール値測定がなされたことは認めるが、その各測定結果は不知。

(三)  同(五)のうち、七月一三日から一四日にかけて陣痛促進剤を投与したことは否認する。陣痛促進剤の投与は七月一六日の午前から夕方にかけて五回受けた。

(四)  同(六)のうち、陣痛が発現して以降、担当医の診察を受けたことはあるが、七月一七日夕刻から一八日早朝原告藤子が下腹部の異常を訴えるまでの間、当直医、看護婦の診察・計測を受けたことは否認する。

(五)  同(七)のうち、手術の開始・終了の時刻は否認する。

(六)  同(九)のうち、新生児が強化監視室に直ちに移されたことは否認する。死亡の時刻は認める。

2  経膣分娩を採用したことに関する過失

(一) 既往帝切と経膣分娩の決定について

産科医の中では「初回帝切即反覆帝切」という提言が古くから信奉されてきた。これは既往帝切の瘢痕が母子の生命を脅かす恐るべき子宮破裂の原因となるものであり、しかもそれがしばしば無警告に発するものであること、それを回避するための唯一の効果的手段としては反覆帝切以外はありえないと理解されていたことを示している。ところで近時右のような考え方が後退し、既往帝切妊婦の出産に際し、その分娩方式を経膣的に行なうか、再帝切によるかを個々の症例に応じて選択するという傾向が強まり、中には経膣分娩を原則に、帝切を例外として行なうべきであると提唱するものがあることも否定できない。

(1) かような変化をもたらした第一の理由は帝切の術式が改良され、抗生物質の開発等によつてその術後管理が進歩したので、切開傷の治癒が完全になされるようになつたため、瘢痕に起因する子宮破裂のおそれが少なくなつたためと思われるが、しかしながら、帝切の技術の現状はその瘢痕による子宮破裂の危険性を無視して差支えないほどにまで進歩しているとはいい難い。たしかに、阪大病院における昭和三九年から昭和四七年までの九年間の帝切経験者の出産一〇五例中子宮破裂に至つたのは本件の一例のみであり、また大阪北野病院における帝切経験者の出産一一二例中特別の臨床症状なしに破裂が起つたという症例が一例あるのみとの報告があるが、他方、大阪の聖バルナバ病院において昭和四五年度に取扱われた前回帝切経験者六四例中、次回帝切時に六例の潜状破裂、切迫破裂を見たこと(発生率九・四%)、国立仙台病院において昭和四一年から昭和四五年までの間に扱つた帝切経験者一一〇例中、子宮破裂七例を生じたとの報告と対比すると、帝切瘢痕に起因する子宮破裂の危険性を見逃すことはできず、かりにそうでないとしても阪大病院、大阪北野病院の事例をもつて全体の傾向を律するには足りないというべきである。むしろ、北野病院において反覆帝切がなされた際の瘢痕所見として完全破裂の外、組織欠損・組織非薄・高度腹膜癒着瘢痕高度組織陥凹等高度の形態的障害が認められた事例が異常なしの事例よりも多かつたということはそれが破裂に結びつくものとして慎重に取扱わなければならないことを示している。右にみた事例だけからみても既往帝切の瘢痕が子宮破裂を招く危険性は決して無視しうるものではなく、ことに子宮破裂という事態が極めて重篤であることを考えれば既往帝切妊婦の分娩に際し右危険性に対する配慮をゆるがせにすべきではない。

(2) 帝切は被告が主張するように、それ自体危険を伴ない、母子の予後にも悪影響なしとせず、一般的に軽々に行なわるべきものではないが、子宮破裂という重大な結果を生ずる可能性があるとき、帝切はこれを回避するための唯一の手段として認められており、ことに抗生物質の開発、麻酔の進歩からするとむしろ安全度の高い手術といえる。

(3) 阪大病院のとつた試験分娩は、激烈な破裂の兆候をみて機を失することなく帝切に切替えるというものであるが、既往帝切の瘢痕に起因する子宮破裂がしばしば無警告に生ずる以上、事態の変化に応じて帝切に切替えたところで破裂そのものは避け難く、かくて試験分娩は瘢痕による子宮破裂の危険に対処しようとする限り、言葉の上のサービスでしかない。従つて、試験分娩によつても、子宮破裂という危険を回避することは不可能というべきである。

(二) 本件における分娩方法の選択の誤り

(1) 瘢痕の性状に関する調査

既往帝切妊婦の分娩方式を決定する際には、子宮破裂が発現するか否かが帝切瘢痕の性状によるものであるから、右瘢痕の性状に関する情報を最大限入手すべきであり、そのためには既往帝切の術後の経過の順・不順というような間接的方法ではなく、直接瘢痕自体の形態的特徴を捉えることのできる子宮内面触診法、子宮内視鏡検査、子宮造形法等を採用すべきである。本件において阪大病院が試験分娩を選択した段階で原告藤子の帝切瘢痕の性状に関する情報として入手したものは、素人である同女に対する問診によつて前回帝切の術後経過が順調であつたことを知つたのみであつて、それ以上何らの手段もとられていない。

また、被告は、原告藤子が阪大病院を訪れた際、同女は既に妊娠していたから前記の内面的触診法、内視鏡検査、子宮造影法等を行なうことはできなかつたというが、右のような診断がなされていないということは瘢痕の性状について信頼できる情報をえられないということを意味する。従つて、経膣分娩を選択するに当つては極端に控え目な態度が要請されるのであり、反覆帝切の適応症と認むべきものがないから経膣分娩を採用するという安易な態度をとることは許されない。

(2) 児頭骨盤不適合

骨盤や児頭の大きさを正確に計測することは容易でなく、まして児頭骨盤不適合の判断は極めて複雑な要因に左右されるため、現在の医学の水準をもつてしても決して容易ではない。そして無警告破裂を懸念する必要のない場合ならともかく、そのおそれのある既往帝切妊婦の場合、児頭骨盤不適合を究めるための試験分娩は許されず、いささかでも児頭骨盤不適合の疑いがあれば、直ちに再帝切によるべきである。

被告は、児頭骨盤不適合の判定に骨盤前後径と児頭横径の関係を問題にしているが、骨盤計測の際、前後径に併せてその横径も必ず測定され、しかも狭骨盤の定義が入口横径だけをもとにすることもあること、実例において、骨盤横径と児頭前後径の差が一センチメートル以下の場合経膣分娩が可能なものは皆無であつたことなどからすると骨盤横径と児頭前後径の関係こそ重視されるべきである。そして原告藤子の骨盤横径一一・二センチメートルはいわゆる比較的狭骨盤に属し、児頭の前後径約一一センチメートルと対比するとその差が僅か〇・二センチメートルしかなく、同女の場合、児頭骨盤不適合を疑うに十分である。

また、骨盤や児頭の大きさの計測値は必ずしも正確ではないとすると、原告藤子について前回の出産において児頭骨盤不適合があつたことは明らかであるから、前回と今回とを比較して児頭骨盤不適合の存否を判断する態度がとられるべきである。前回帝切時に体重三、三〇〇グラム、頭囲三三・五センチメートルというごく普通の子について経膣分娩が不可能であつたのであるから、今回の胎児が実際の出産より一週間以上も早い七月一〇日ころ既に児頭大横径九・五センチメートル、予想体重三、一〇〇グラムプラスマイナス一〇〇グラムと計測されていた以上、児頭骨盤不適合の疑いは否定すべくもない。

(3) 予定日超過ならびに陣痛誘発

既往帝切妊婦について経膣分娩が可能であるためには自然に陣痛が開始することが必要であつて、予定日を経過してもなお陣痛が発来しないときは反覆帝切の適応症とされており、また陣痛誘発剤を使用するとその作用により直接子宮破裂を生ずるおそれがある。

さらに、原発微弱陣痛の原因の一つに子宮筋層の解剖的変化があげられているが、原告藤子の子宮には帝切瘢痕があつて陣痛微弱の疑いがあり、かりに前回帝切の術式が同女のように頸部横切開の場合は必ずしも陣痛微弱を招くとはいえないとしても、阪大病院が同女の前回帝切の術式を知つたのは子宮破裂発生以後のことであつて分娩方式を選択する段階ではその点が明らかにされていなかつたのであるから、同病院としては、自然に陣痛が発来しないという事態につき帝切瘢痕の影響を当然考慮に入れて対処すべきで軽々に陣痛誘発の処置を講ずべきではなかつた。

(三) 原告らの帝切の希望

原告藤子が出産予定日経過後、岡田医師に帝切手術の希望を申出たのは子宮破裂の事態をおそれ、それを回避したいと願つたからに外ならず、右希望は初回の出産を帝切によらざるをえなかつた原告らとして合理性をもつものである。もちろん、専門家である医師が診察医療に当る場合、常に患者の希望に添わなければならないわけではなく、患者にとつて、いずれが良い結果をもたらすかという選択をなしうることは否定できない。しかし、専門家とはいえ、決して万能ではなく、まして患者との関係が合意によつて成り立つ契約であることからいえば、患者の意向が十分に尊重されなければならない。阪大病院は明瞭な帝切適応症の存在しない限り、母子とも幸せのため経膣分娩の方法によることを病院の方針としているというが、同病院における反覆帝切率は六五%を超えており、この中には単純に既往帝切をもつて帝切適応症とするほかないものも含まれているはずであり、そうでなければ反覆帝切率がかような高率を示すことは考えられない。

(四) 試験分娩の態勢

帝切般痕を起因とする破裂はしばしば無警告に発生するものとされ、激しい兆候を伴わないのが常態であるから、反覆帝切を避け、試験分娩を行なうべきであると提唱する以上、子宮破裂が生ずるやもしれないという事態の変化を予知するための具体的方法を明らかにすべきである。しかるに阪大病院のとつた監視態勢は通常の分娩の場合と何ら異なるところがなく、試験分娩というも監視が強化されていたわけではない。ことに子宮破裂の兆候はいかなるものでも見逃さないという肝心の態勢が全くとられておらず、軽微な兆候に気づかなかつたことを根拠に全く兆候を欠いていたと称して責任を免れることは許されない。

3  子宮破裂後の処置に関する過失

子宮破裂が発生し、胎盤が圧出されつつあることが認められても同時に完全な胎盤剥離が生じたとはいえず、今少し早期に手術がなされていたとすれば、新生児の生命維持の可能性があつたと考えられるが、本件において試験分娩という態勢をとつているのに阪大病院が破裂を知つてから手術開始まで一時間一五分を要したのはその準備が不十分であつたといわざるをえない。同病院としては、一部の病院で採用されているように、手術台上の分娩などの態勢をとり、事態の急変に備えて即刻帝切手術をなしたとすれば、新生児の生命は必ず維持しえたものである。

第三証拠 〈省略〉

理由

一  請求原因第1、第2項の事実(当事者ならびに診療事故の発生)は、当事者間に争いがない。

二  診療事故の経過

1  〈証拠省略〉によれば、妊娠から子宮破裂の発生までの経緯として次の各事実が認められる(一部、当事者間に争いのない事実を含む。)。

(一)  原告藤子は昭和四三年九月八日、中山医院(医師中山義雄)において第一子長男実を出産した。右出産は、児頭骨盤不適合との診断に基づき、帝王切開手術により行なわれたが以後の経過は順調であつた。

(二)  昭和四四年一二月、第二回目の妊娠を知つた原告藤子は、今回の妊娠が前回の帝切による出産から約一年三ケ月しか経過していないことから安全な出産に対する不安感をいだき、地域における最も信頼できる医療機関といわれる阪大病院の診察を受けることとし、同月二二日同病院において産科婦人科医長足高善雄教授の診察を受けた。同女に対する問診によれば、同女が昭和四三年九月に第一子を狭骨盤の理由で帝王切開により出産したことが知らされたが、診察の結果では今回の出産に障害となるような事由は何もなかつた。但し、前回帝切の瘢痕の検査は、同女が初診時に既に妊娠三ケ月であつたため内部的検査は不可能であり、外部的診断(視診および触診)を行なつたのみであつた。原告藤子は右診断結果を得て、原告博らとも相談のうえ出産を決意し、以後昭和四五年七月まで計八回同病院に通院し、この間、同女には何の異常もみられなかつた。

(三)  原告藤子は出産予定日(昭和四五年七月九日)の前日である七月八日、阪大病院の指示に従い、出産のため同病院に入院した。

(四)  阪大病院では、原告藤子の前回帝切の適応症が狭骨盤という問診の結果を得ていたので、右入院時を含めそれまでに三回にわたり同女の骨盤の外計測を行なつたところ、骨盤の外結合線はいずれも一八または一九センチメートルであつた。日本産婦人科学会の定義によれば、外結合線が標準値(一九・二八センチメートルより二センチメートル下回わると狭骨盤の疑いがあるとされているが、原告藤子のそれはほぼ標準値を示しており、阪大病院では同女が狭骨盤ではないこと、従つて、同女の前回帝切は狭骨盤のためではなく、児頭骨盤不適合によるものであると判断した。

(五)  阪大病院では入院後、児頭および骨盤の大きさを精密に検査することとし、七月一〇日X線撮影、翌一一日超音波計測を行なつたところ、児頭の大横径が九・五センチメートル、産科真結合線が一三センチメートルとの結果が得られた。.右両検査に基づき、同病院では原告藤子について狭骨盤はもちろん、児頭骨盤不適合のおそれもないと判定した。

(六)  原告藤子には予定日である七月九日を経過しても陣痛が起こらなかつたのであるが、阪大病院では七月一一日および一三日に由計水、石浣(下剤)を使用し刺激を与えた後、一三日、一四日と続けて陣痛を促進させるべくアトニン(陣痛促進剤)を投与したが、いまだ陣痛が発来しなかつた。

(七)  そこで、同月一五日胎盤機能を検査するため、尿中のエストリオール値の測定を実施したところ、一日につき三七・五ミリグラムとの数値を示した。エストリオールとは胎盤と胎児より分泌されるホルモンで、尿中に一日当り分泌されるエストリオールが五ミリグラム以下であると胎盤の機能が十分でないことを表わし、胎盤機能が不十分であるとこれに生命維持を依存している胎児の発育、分娩に障害をきたすことになるのであるが、原告藤子は三七・五ミリグラムであつたから、胎盤機能は良好であることが確認された。阪大病院では以上の検査に基づき、いまだ経膣分娩が可能であると判断した。

(八)  七月一七日、阪大病院は原告藤子に対し、午後〇時四〇分ころからアトニンの点滴投与を開始し、陣痛の誘発を図つたところ、漸時陣痛が発現し、午後五時四五分ころには胎胞が緊満し、胎児が次第に下降しつつあることを示したが、子宮頸管は同日朝と同じく一指開大するのみであつたから、まだ胎児の娩出までにはかなりの時間を要し、かつ母子ともに何ら異常も認められず、児頭骨盤不適合のおそれもないため、試験分娩を継続することとし、担当の岡田医師は助産婦の監視体制をとりつつ同女を陣痛室におき、産直医(末原医師)および当直医(那須医師)と交替した。午後八時一五分ころ当直医が同女を診察したが特に異常はみられず、引続き当直医の指導下に石田助産婦が監視を続け、約三〇分毎に児心音、陣痛の計測、問診等を行なつた。翌一八日午前四時三〇分および午前五時の計測時にも子宮口が三指開大する現象を呈し、分娩が順調に進行しつつあることを示していた。

以上のとおり認められ、〈証拠省略〉中、右認定に反する部分は前掲各証拠に照らし信用することができず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

2  〈証拠省略〉によれば、子宮破裂の発生以後の経緯として次の各事実が認められる。(一部、当事者間に争いのない事実を含む。)

(一)  七月一八日午前五時一五分ごろ、原告藤子は下腹部に疼痛を覚えるとともに、同所に手掌大の膨瘤の発現をみたため、陣痛室のナースコールにより事態の急変を知らせた。駆けつけた助産婦から当直医および産直医に連絡がとられ、直ちに当直の那須医師が来診した。同医師が診断した結果、子宮破裂の疑いがあり、かつ児心音が遅くなつてきており、母体ならびに胎児に危険が差迫つていることが判明した。右診断を終えるまでに子宮破裂から一〇ないし一五分を要した。

(二)  那須医師は直ちに帝切手術の実施を決定し、手術場に連絡をとる(午前五時三〇分ころ)とともに出血の危険に備え、血液を確保するためブドウ糖の点滴静注を行ない、次に患者の全身的な管理として呼吸・脈拍・血圧の測定をするなどの準備作業を行なつた。それから患者を寝台の上に乗せ、そこに輪液のセツトを固定し点滴を続けながら那須医師が付添い、阪大病院西病棟一階の陣痛室から約三〇〇メートル離れた本館三階の手術室まで約一〇分を要して運び込んだ。

(三)  午前六時ころ原告藤子は手術室に運び込まれたが、医師の手により母体の生命を確保するために欠かすことのできない準備作業である輸血をする血管の確保、注射の追加、麻酔医による患者の管理および看護婦による患者腹部の剃毛・消毒が行なわれた。

(四)  午前六時二五分、那須医師を術者、末原医師を第一助手として帝切手術が開始された。開腹の結果、原告藤子の子宮前壁に前回の帝切瘢痕部に一致し、さらに右瘢痕より下方に正中線に沿つて破裂口が認められ、また胎盤が圧出されつつあることが認められた。午前六時四三分胎児が娩出された。那須医師らは同女に対し、子宮破裂口の縫口を試み、かつ止血のため子宮収縮剤・止血剤の投与、子宮マツサージなどの措置を講じたが、同女の子宮は収縮が悪く、出血が止らず、そのまま子宮を存置さすことは同女の生命に危険を及ぼす事態となつたため、やむなく子宮膣上部の切断手術を行なつた。手術は午前九時四五分終了した。

(五)  新生児(男児)は自発呼吸なく仮死状態にて娩出され、直ちに気管内吸引、酸素投与、強心剤注射、人口呼吸、心マツサージ、自働人口呼吸器装置、その他の措置を行なつた結果、生後二〇分経過して心搏動を開始したので午前一〇時ころ強化監視室に移して特殊救急部員の下に治療を続行したが、午前一一時三〇分ついに死亡した。

以上のとおり認められ、〈証拠省略〉中、右認定に反する部分は前掲各証拠に照らし信用することができず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

三  試験分娩の可否

原告らは、本件の診療事故に関し、阪大病院が原告藤子に対し、試験分娩を選択し、これを試みた点に過失が存する旨主張するので、以下、原告らの主張につき順次検討する。

1  既往帝切と試験分娩の決定

原告らは、既往帝切妊婦の出産に当り、その分娩方式を決定する場合には、子宮破裂のおそれがあり、しかもそれがしばしば無警告に発生するといわれている以上、前回帝切即反覆帝切という方針に従い、経膣分娩が可能であるということが確認されない限り子宮破裂を回避するための唯一の効果的手段である反覆帝切術を採用すべきである旨主張する。

ところで、〈証拠省略〉によれば、次の各事実が認められる。

(一)  既往帝切妊婦の経膣分娩の可否については医学界において種々議論が存し、従来は次回妊娠末期または分娩時における子宮破裂の危険性があることから前回帝切即反覆帝切という考え方が一般的であつたが、最近では必らずしも再帝切によらず、以前と同一の帝切適応症が存在するか、別個の新たな帝切適応症が存在するなどの特段の事由がない限り原則として経膣分娩を行なうという考え方が広く受け入れられ、我国産科医の多数も次回分娩を取扱う基本方針として経膣分娩を試みるようになつてきている。このように分娩方式に変化をもたらした理由としては、帝切術式の改良、術後管理の進歩により切開傷の治癒が完全になされるようになり、統計によると子宮瘢痕に起因する子宮破裂の頻度は約三%あるいは五%にすぎず、帝切瘢痕による破裂は危惧されているほどしばしば起こるものではないこと、他方既往帝切妊婦の半数以上において次回は経膣分娩に成功するといわれていること、また瘢痕の性状を診断する完璧な方法がなく、子宮破裂の予測は困難であることは否めないが、だからといつて前回帝切を反覆帝切の適応症とすることはゆきすぎであること、帝切は分娩時間の予定をたてることが可能であり、分娩所要時間も少なくかつ手術料が高価なことから医師にとつて利点が多い手術ではあるが、母体および娩出児により安全無害な手術ではなく、かつ新生児に帝切児症候群と呼称される後遺症がしばしば見受けられることなどが挙げられる。

(二)  かように既往帝切妊婦についても経膣分娩を原則とする考え方が一般的になつてきているが、現実の分娩に当つては経膣分娩を試みつつ、十分な警戒態勢をとり、不時の瘢痕破裂に備えて随時反覆帝切が行なえる態勢、いわゆる試験分娩を基本方針とする人が多い。

(三)  実際に既往帝切妊婦についてどの程度反覆帝切が実施されたかについてみると、産科婦人科臨床大会における報告によれば、昭和二六年ないし三〇年の五年間における全国の各診療機関の反覆帝切率は〇%ないし一〇〇%となつており、診療機関により区々であるが、その平均は五五%であつて、その余については経膣分娩に成功している。

(四)  阪大病院においては、昭和三九年から四七年までの九年間に帝切経験者一〇五名の出産を取扱い、そのうち六〇名について前回帝切の適応症が残つていたため再帝切を行ない、残余の四五名(四一・九%)に対しては試験分娩がとられ、右四五名のうち一一名は経過観察中に再帝切を行なわざるをえない状態となり、帝切が反覆された。しかしながら、試験分娩の方針の下に経過を観察し、最後まで異常所見が認められず、経膣的に正常な児を出産することができた事例は帝切移行例よりも多く、四五名中三四名(既往帝切妊婦一〇五名に対しては三二・四%を占める。)に達していた。これに対し、右九年間において既往帝切妊婦で子宮破裂を起こしたのは原告藤子の一例のみ(〇・九四%)であつて、他の診療機関における子宮破裂の発生例に比べ低率であつた。一方、同病院では、九年間に帝切後に母体死亡例が三例みられた。

以上の各事実が認められる。この点について、原告らは聖バルナバ病院(大阪)において昭和四五年に取扱われた既往帝切妊婦の出産六四例中、次回帝切時に六例の潜伏破裂、切迫破裂をみたこと、国立仙台病院において昭和四一年から四五年までに取扱われた帝切経験者一一〇例中子宮破裂七件を生じたことをあげ、子宮破裂の危険性を主張するが、〈証拠省略〉によると、右事例を紹介する論者も子宮瘢痕の検査の重要性を主張し、あるいは帝切後の後遺症を論ずるのが主眼であつて子宮破裂発生事例が存在することをもつて経膣分娩(試験分娩)を選択することを否定するものではなく、他に前記認定を左右するに足る証拠はない。そして前記認定したところによれば、阪大病院が原告藤子の出産についての基本的態度として試験分娩を採用したことに何ら過失を認めることができない。

2  本件における試験分娩の決定の妥当性

〈証拠省略〉によれば、既往帝切妊婦の経膣分娩方式を採用することが可能な条件(換言すれば、反覆帝切適応症の不存在)として、(一)前回帝切時の一時的適応症の不存在(二)前回帝切およびその術後経過に異常がないこと、特に発熱創傷部疼痛など瘢痕治癒不全を思わせる徴候のないこと(三)妊娠の経過に異常がなく、胎盤機能等も正常であること(四)分娩の経過に異常のないこと、具体的には(1)胎児の位置が正常であること(2)自然に陣痛が開始し、陣痛微弱・過強陣痛がないこと(3)頸管の開大が比較的迅速に行なわれること(4)児頭も順調に下降して回旋異常を認めないこと(5)恥骨結合上部の自発痛・圧痛・血尿出現等のないことが認められる。

この点について、原告らは、既往帝切妊婦に対し経膣分娩を行なおうとする際には帝切瘢痕の性状を子宮内面触診法・子宮内視鏡検査・子宮造影法等の内診的方法によつて捉え、それによつて子宮破裂のおそれの有無を判別すべきであり、右診断がとられず、帝切瘢痕の性状に関する情報が得られない場合には経膣分娩を採用すべきでない旨主張し、〈証拠省略〉のうちには右主張に副うがごとき記載部分が存するけれども、〈証拠省略〉によれば、既往帝切瘢痕の性状に関し、原告ら主張の如き検査方法が実際にいかなる程度の頻度で実施されているかについての文献は国内外を通じいまだみられず、一部診療機関における実施の結果が報告されているものの、極めて少数であること、その理由としてレントゲン撮影(子宮造影法)ないし内視鏡による検査等が瘢痕の良否の決定的な診断法ではなく、また検査の適切な時期についても一定の見解が得られていないことなどが挙げられていることが認められる。従つて、〈証拠省略〉のうち原告ら主張に副う記載部分は右認定したところに照らしそのまま採用することができず、よつて原告ら主張は認めることができない。

(一)  前回帝切時の一時的適応症の不存在

前記二1において認定したとおり、原告藤子は第一子出産に際し、帝切術を受けたのは児頭骨盤不適合(阪大病院が初診時に同女に対する問診の結果では狭骨盤)と診断されたことによるものであるところ、これに対し、同病院は同女について狭骨盤、児頭骨盤不適合のいずれも認められないと判定したものであり、鑑定人日高敦夫(第二回)は、本件訴訟において再度計測を行ない、産科真結合線が一一・六センチメートル、胎児の大横径が九・五センチメートルとの結果を得たうえ、同女について狭骨盤、児頭骨盤不適合のいずれも認められない旨鑑定している。

この点について、原告らは児頭骨盤不適合を判定する際には、骨盤前後径と児頭横径の関係よりも、骨盤横径と児頭前後径の関係をより重視すべきである旨主張し、〈証拠省略〉中には右主張に副う記載部分があるが、右記載部分は〈証拠省略〉に照らし直ちに採用することができず、他に右主張を認むべき証拠はないから、原告らの右主張は採用しない。

(二)  前回帝切およびその術後経過

前記二1認定のとおり、原告藤子の分娩予定日は前回帝切時より一年一〇か月を経過していること、前回帝切およびその術後の経過も順調であつたことが認められ、また〈証拠省略〉によれば、前回帝切による瘢痕の癒合を完全ならしめるのに必要な期間は三ないし六か月であるから、同女については前回帝切による瘢痕を危険視すべき事情はないことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

(三)  妊娠の経過

前記二1認定のとおり、原告藤子の妊娠から分娩開始(陣痛開始)に至るまで同女および胎児ともに何ら異常がなく、ことに出産予定日経過後も胎盤機能等が正常であつたから、妊娠の経過から経膣分娩の可能なことを疑わせるような事情は認められない。

(四)  分娩の経過

〈証拠省略〉ならびに前記二1で認定したところによれば、

(1) 胎児の位置は頭位であり、正常であること

(2) 原告藤子について陣痛の開始が分娩予定日よりも遅れたとはいえ、微弱陣痛または過強陣痛等の陣痛異常の徴候はみられなかつたこと

(3) 子宮頸管の開大は、七月一七日午前九時三〇分には一指開大、一八日午前四時三〇分には三指開大と順調に進行していたこと

(4) 児頭は順調に下降し、回旋異常等の事態もなかつたこと

(5) 七月一八日午前五時一五分子宮破裂が発現するまで、同女には恥骨結合上部の自発痛・圧痛・血尿出現等はみられなかつたこと

(6) 同女は出産予定日に二五歳であり、高令、初産ではなく、軟産道強靱の症状もなく、また分娩遷延の事実もないなど経膣分娩を適当でないと推測させるような事情はなかつたこと

の各事実が認められる。

右(2)について、原告らは、予定日を超過した場合は反覆帝切の適応症とされている旨主張し、〈証拠省略〉中には右主張に副う記載部分があるが、〈証拠省略〉によれば、分娩予定日は実際の分娩日を表わすものではなく、予定日の前後二週間以内の分娩は正常な分娩であり、予定日を超過したからといつて直ちに分娩の経過に異常があることを意味するものではないことが認められ、かつ〈証拠省略〉の右記載部分も予定日を一日でも超過すれば直ちに帝切適応症が生ずることを主張するものではないから、原告らの右主張は採用しえない。

また原告らは、阪大病院が陣痛促進剤を投与した結果、その作用により子宮破裂を生ぜしめたかの如く主張するが、〈証拠省略〉によれば、陣痛促進剤を用いたというだけでは帝切適応症が生じたとはいえないこと、阪大病院が七月一七日まで陣痛促進剤を使用したことと一八日午前五時一五分ころ子宮破裂が生じたこととの間に因果関係は認められないことなどを認めることができ、従つて原告らの右主張も採用しえない。

さらに原告らは、帝切瘢痕は原発微弱陣痛の原因となり、かりに原告藤子のように前回帝切の術式が頸部横切開により行なわれた場合は必ずしも微弱陣痛が起こるものではないとしても、阪大病院は今回の分娩方式を決定する段階において前回帝切の術式を知らなかつたのであるから帝切瘢痕による微弱陣痛の可能性を十分に考慮すべきであつた旨主張する。〈証拠省略〉中には帝切瘢痕など子宮筋層の解剖的変化が微弱陣痛を招く可能性を否定しえない旨の供述があるが、同証言はまた、この点については現在の医学上未だ十分解明されていないことをも力説しているのであるから、同証人の前記供述をもつて直ちに原告ら主張を認める十分の根拠とすることは早計であつて、他に原告らの右主張を認むべき証拠はない。

よつて、以上(一)ないし(四)において認定したところによれば、原告藤子について試験分娩を採用し、子宮破裂の事態が起こるまで経膣分娩を原則とし、経過観察を続けた点に過失を認めることはできない。

3  原告らの帝切の希望

〈証拠省略〉によれば、出産予定日経過後に原告藤子およびその母八重子が担当医に対し、反覆帝切による出産の希望を申し出たこと、これに対し、担当医は試験分娩の方針を説明し、帝切の希望を受け入れなかつたことが認められる。しかしながら、〈証拠省略〉によれば、帝切は妊婦側が希望すればその希望に応じてなすべき医療行為ではなく、帝切適応症と呼ばれる症状がみられる場合にこれを除去するために実施すべきものであることが認められるから、本件において阪大病院が原告らの希望を受け入れず、試験分娩の方針を採用したことをもつて違法ということはできず、よつて原告らの右主張も採用しない。

4  試験分娩の態勢

〈証拠省略〉によれば、原告藤子が入院していた陣痛室のベツドには患者が容易に助産婦に連絡しうるようなナースコールが備付けられており、陣痛監視室は廊下を通らずに陣痛室に接続し、陣痛室内の様子を一望できる監視窓がつけられており、陣痛室内の異常、患者の動静を容易に察知しうる構造になつていたことが認められ、〈証拠省略〉中右認定に反する部分は前掲各証拠に照らし信用することができず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。そして右事実ならびに前記二1(八)認定の事実によれば、阪大病院が右のような試験分娩の態勢をとつていても、原告藤子には七月一八日午前五時一五分ころまで何ら異常が認められなかつたのであつて、同病院のとつた監視上の措置は必要な限度を満たしていたものと評価しうるから、この点についても何ら過失を認めることができない。

四  子宮破裂後の処置の当否

1  手術の準備期間

前記二2において認定したとおり、七月一八日午前五時一五分ころ子宮破裂が発現してから午前六時二五分開腹手術が開始されるまでの間、阪大病院では右手術の準備に時間を費したのであるが、原告らは阪大病院が試験分娩と称する態勢を執つているのに手術開始までに一時問以上を要したことは手術の準備が不十分であり、この点において過失が存する旨主張し、〈証拠省略〉中には試験分娩の態勢下で、子宮破裂が覚知されてから手術開始まで三〇分ないし一時間程度を要するのが通例であり、原告藤子について一時問一〇分を費したことに対しては迅速に準備が行なわれたとはいえない旨の供述が存する。しかしながら、〈証拠省略〉によれば、子宮破裂を生じた場合、第一に考慮されなければならないことは破裂による強度のシヨツク状態にある母体が緊急の帝切手術に耐えられるか否かであつて、かような場合には、母体が手術に耐えられると当初から判断されている場合、胎児の生命維持のみを考えればよい場合などに比べ母体の管理という要請が加わるため、はるかに多大の準備時間を要すること、通常、右準備には一時間程度を必要とすることが認められ、また〈証拠省略〉によれば、無警告破裂に際しては、視診・外診・問診等により子宮破裂を確定する作業が不可欠であり、右作業の結果手術開始が決定されるのであつて、その時間(手術開始の決定までの時間)として少なくとも一〇ないし一五分必要であることが認められる。そして〈証拠省略〉にいう手術準備時間のなかには手術の決定に至るまでの時間が含まれておらず、また〈証拠省略〉は手術に際し母体がいかなる状態にあるかを考慮に入れずに一般的に手術準備時間を説明しているのであるから、結局〈証拠省略〉をもつて原告ら主張を認むべき十分な根拠とすることはできない。よつて、原告らの右主張は採用しない。

また、原告らは、手術準備時間を短縮するためには、所謂手術台上の分娩を採用すべきである旨主張し、〈証拠省略〉のうちには右主張に副う記載部分があるけれども、同記載の筆者である山村博三はそこで安易な反覆帝切をいましめることをもしており、すべての試験分娩を手術台上において行なうべきことを主張しているものではなく、また〈証拠省略〉によれば、阪大病院のような大病院において手術台上の分娩を採用している病院はほとんどなく、ただ京都府立医科大学付属病院が施設の狭隘のためやむなく手術台上の分娩を採用していること、かりに手術台上の分娩を採用したとしてもそれにより短縮される時間は陣痛室から手術室に患者を運ぶ五分ないし一〇分にすぎないことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。従つて手術台上の分娩を採用すべきであるとの原告らの主張も認めることができない。

2  胎児の生命維持の可能性

〈証拠省略〉によれば、

(1)  子宮破裂の直前(午前五時〇分)における児心音は正常であつたが、破裂直後(午前五時一五分)におけるそれは急激に限界値にまで下落していること

(2)  午前六時二五分に開腹手術を開始したところ、胎盤が圧出されつつあるのが認められたこと

(3)  午前六時四三分に胎児が娩出された時のアプガールはゼロであつて、心臓の搏動・呼吸・神経反射・筋の緊張がすべてゼロであつたこと

が認められ、右認定を左右するに足る証拠はなく、右事実によれば、胎児が母体からガス交換、栄養補給を受ける胎盤の剥離が子宮破裂と同時に、またはこれに接着した時点に生じていたことが認められる。

而して、〈証拠省略〉によれば、胎児は胎盤が完全に剥離して酸素の供給を断たれた場合には五分ないし一〇分で死亡することが認められるところ、本件においては子宮破裂後極めて早い時期に酸素交換の途を断たれた胎児は脳死の状態にあつたものと認められるから、胎児の生命維持はかりに手術準備時間を三〇分以内に早めえたとしても結局不可能であつたものといわざるをえない。よつて胎児の生命が失われたことにつき過失を認めることはできない。

3  子宮摘除の相当性

〈証拠省略〉によれば、子宮の完全破裂の場合、縫合しうる可能性は極めて少なく、ほとんどの場合子宮摘除は避けることができないことが認められ、従つて前記認定の如き事情の下で、母体の生命の維持のため子宮を摘除したことは、やむをえない措置であつたものと認められ、この点についても阪大病院に過失は存しない。

五  以上のとおりであつて、本件診療事故において、阪大病院の執つた措置に何らの過失を認めることができないから、その余について判断するまでもなく、原告らの本訴請求は理由がない。よつて原告らの請求はいずれもこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 荻田健治郎 寺崎次郎 吉野孝義)

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